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「声の力」つづき (谷川俊太郎)


年初の思いは、「観るサル、聴くサル、語るサルでいこう」です。語りについて、『声の力』(岩波書店)から谷川俊太郎のことばを拾ってみました。語るーそれはこころをこめるがキーなのですね:

「聞いた話だが,胎児は4カ月のころから,もう耳が聞こえているのだそうだ.外界の音は聞こえないとしても,母親の心音や血液の流れる音などは聞こえるのだろう.もしかすると,母親の話し声ももちろん意味は分からぬとしても,そこにこめられた感情によって胎児になんらかの影響を与えているのではないだろうか.また臨死体験者によると,聴覚は最後の最後まで残っているものらしく,身内の人々が耳元で大声で自分の名を呼んだりするのが,わずらわしかったという話もどこかで読んだことがある.

 たとえば小鳥のさえずりや犬の遠吠え,鯨が海中であげる,歌ではないかと言われるゆったりした抑揚を伴った鳴き声などにも,私たち人間は感応する.そこに意味だけではとらえきれない生き物の声のもつ力を感じる.ヒトの言葉も文字となる前は声だった.私たちは言葉を文字としてではなくまず音として,声として,耳と口を通して覚える.母親は生れた瞬間から赤ん坊をあやす.その声は意味を伝えようとする言葉ではなく,愛情を伴ったスキンシップとしての喃語(なんご)だ.声は触覚的だ.声になった言葉は脳と同時にからだ全体に働きかける.

 ロシアかどこかの名優が舞台で背を向けて食事のメニューを読み,観客を泣かせたという話を聞いたことがある.文字を覚え,本を黙読する私たちはともすると声に出された言葉にひそむ意味を超えた力を見落とす.詩・韻文は現代では声を失いかけているが,それを補うかのように歌が巨大な市場を形成していることもまた,声のもつ不思議な力の存在の証しと言えよう.その力を感受する能力を私たちは胎児のころからつちかってきているのだ.わらべうたも昔語りも声にそのみなもとをもち,それは意識と同時にもっと深く私たちの意識下に働きかける.子どものころも,おとなになった今も.

 私のアメリカの友人で,いわゆるストーリーテリングをしている男がいる.彼によると本を読む「読み聞かせ」よりも,自分のからだが覚えた話の「語り聞かせ」のほうがはるかに聴衆をとらえるそうだ.文字の発明は言葉に大きな力を与えたが,それが言葉からある種呪術的と言っていい力を奪った一面もあることを忘れたくない.母親たちが眠りにつこうとする子どものかたわらで,絵本などの読み聞かせをするのはいいことだが,その声に義務感のようなものがまじっていたら,子どもは敏感にそれに気づくだろう.子どもを育てていく上で,命令や管理の声をなくすことは不可能だが,同時に声は愛撫のひとつのかたちだということも,親は自覚していていいと思う.愛のこめられた声によって言葉を知り,言葉を覚えていくことが出来るのは幸せなことだ.その幸せに恵まれない子どもたちも,この世にはたくさんいるのだから.」

(たにかわ しゅんたろう)

1931年生まれ.詩人.1952年,第1詩集『二十億光年の孤独』を刊行.戦後詩の新しい感受性を切り開くものとして高く評価される.以降,続々と詩集を発表.作詞,絵本,ビデオなど,創作活動の領域は広い.主な詩作は『谷川俊太郎詩集』正・続(思潮社),『CD-ROM 谷川俊太郎全詩集』(岩波書店)にまとめられている.


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