71回目の8月15日を偲ぶ
本日、71回目の8月15日の終戦記念日の追悼を共有したいと思います。70年を経て、太平洋戦争開戦を巡る事実が明らかにされてくるほどに、政治の駆け引きの醜さ、怖さが感じられます。また、終戦後の日本の来し方では、米国主導の政策に異を唱えられなかった状況はさておき、近代史の教育が疎かにされてきた実情は、本来的日本人の資質、特性、自信を養育する苗床をないがしろにし、以来、元気に芽吹かないまま70年を経てきた歳月を振り返ることが大切だと考えます。
事実を直視し、何が正しく、何が間違いかを学ぶ機会がおろそかにされてきました。たとえ遅かろうと、時代の証言者、体験者は黙らず、後世へ残すべきことばなり、メッセージを伝えることを使命と心得て欲しいと思います。忘れてはならないからです。
ことば・こころ塾の一活動、友カフェでは過去、2,3度、終戦記念日の対話の企画をしましたが、反応は芳しくなく、実現しませんでした。それ自体が気がかりです。次世代に属する方々が、関心をもたないとすれば、それも問題だと思ますが、平和学の権威、ガルトゥンク博士のシンポジウムに参加した際、若い人たちが大半だったことを目のあたりにし、少し、安堵しました。例え、シンポジストが有名人という事実があったしても、彼らなりに安保法制と予測される憲法改正にどう対処すべきかを考えようとする意図が読めたからです。大いに考え、討議し、自分の意思を固める過程が、もっと日常に組み込まれていくよう願っています。今日は、線香の一本
と花の一輪を添えて偲ぶことにしました。