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知らないままでいいのか

今日は8月14日で、改めて太平洋戦争を振り返ってみました。午後のテレビ朝日の番組「空白の7日間」を見ました。私たちは玉音放送で戦争が終わったと単純に思っていましたが、ハリウッドの映画「Emperor」でも日本版の「日本の一番長い日」でも、大変危うい状況で玉音放送がされたかと知りました。実際はそれと同じ位重大な事実が人々に知らされないまま71年経っていたのです。

戦争の歴史を知り尽くしている私の夫でも知らなかったので、それに光を当てたテレ朝を称賛します。そのドキュメンタリーでは停戦処理をどのようにするか、マニラにいるマッカーサーに指示を受けるために8月21日、日本側の降伏軍使が2機のミドリ十字に塗った飛行機で行く時に日本陸軍の反乱軍(戦争を終わりたくないという分子)からの攻撃を回避するために、秘密裏に相模からでなく、千葉から飛ばなければいけなかったこと、途中で米国の迎えの飛行機が来た時にその降伏軍使は、これで迎撃されないで済むと安堵したこと、マニラのマッカーサーに会って、戦後処理計画を持って日本に一日も早く帰国しなければいけない時に(ソ連軍が戦争が終わってから国後、択捉、歯舞に攻撃してきたので、アメリカが早く進駐しなければ、北海道も取られてしまう事態だったので)、帰りの飛行機の燃料増設タンクが空で静岡に夜中に不時着しなければいけなかったこと、月夜の明かりで奇跡的に不時着出来て、案内してくれる村人たちの存在もあって、東京にも8時間遅れの到着で済んだ。当初、飛行機の燃料増設タンクに燃料が入っていなかったのは整備ミスとのことだったが、実際には国体護持を唱える反乱軍の新派の整備士が東京まで飛べないように操作したらしい。その整備士の名前は今も不明。8月26日にマッカーサーが来るまでに反乱軍を抑えないとまた戦争に戻ってしまうだけでなく、日本もドイツ、韓国のように分断されていた可能性があった。陸軍の軍備を全て海に破棄する仕事をした大安組という会社が請負い、反乱軍制圧が出来た。今から思うとぞっとすることが多いです。

社会科でもっと近代史を教えるべきだという思いをさらに強くしました


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