東北ラーニング・ジャーニーから
- こうがみちこ
- 2015年12月8日
- 読了時間: 2分

先週土曜日からの3連休(11月21-23日)で福島のいくつかの村を訪ねる旅に加わった。2011年の11月と翌年の春先に個人で宮城の数箇所へ、夏そして秋にグループで福島を見舞った。以来、4年経って、結局は役に立つといえることをせずにいるのが気になっていたからだ。
東京へ出向いて、現地状況を伝える人々の話を聴く機会は何度かあって、その度に、「助けようとしてくれなくていい」「ただ、忘れないで欲しい」という声が響いた。彼らのことばから、年々、外部の関わりが薄れていくことへの心もとなさ、侘しさが感じられ、彼らの立場を人の移ろいやすさへの恨めしい気持ち、苛立ちを共有する思いで受け止めていた。
一人の力は余りに小さい。23人の参加者と旅し、自分のこととして現地の痛みを感じ取るワークをし、対話を重ねる体験は、皆の心を揺さぶったように思う。その意味で、現地に足を踏み入れ、何人かの地域の変革者に会い、直接に話を聴かねば到底わかりえない、声にならない深い懊悩を聞いたことがこの上なく貴重な体験となった。
一日目は、飯館村と南相馬、2日目は双葉地区の川内村そして大熊町大川原地区を訪れた。飯館村では、膨大な面積をとって積まれた汚染土の黒い袋の夥しい数を目にして暗澹たる気持ちになる。約、7,8千人の男達が地面を削り取っている。削り取られる土壌は、現地で農産業に生きる人間にとっては愛着と汗と丹精こめた土地なのだ。それは、命の一部を削られるような苦しみや痛みを伴うものだろう。
人間が犯した間違いの解決法は確実に別の問題を作り出している。土壌汚染を減少させることが迅速な解決になると考えた行政を一概に攻められないかもしれない。だが、対策を編み出す過程で生活者たち、住民、市民の声はどうだったのだろう。一緒に考え、検討する場面はあったろうか。そうは思えない。、汚染度の袋で埋め尽くされた自分達の村や町の人々が、なかばあきらめと忘れらない苦渋の思いのなかで、今後、どれ程長く耐え忍ばねばならないのか。その問題の大きさもはかり知れないものがある。そして、外部に暮らす我々は、そこから目をそらしてはいけないのだ。自分の町だったらどうするだろう。自分のこととして、声をあげ、力を一つにして、知恵を出していく。それがまず、とるべき一歩だと心に刻んだ旅となった。
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