鏡に映った自己
- 2016年1月1日
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自分の言動が他者にどのように受け取られ、評価されるか想像することで自己評価が態度に組み込まれるようになるとは社会学者のクーリー(Cooley,C.H.)のことばです。自分の姿は鏡を通してしか見られないように、自分はどういう人間かは他者の評価や態度を通して知覚される。つまり、人は他者との関係を通して自分に対する確信を得ていくという概念です。これは『鏡に映った自己』と呼ばれます。
作家の曽野綾子氏は、鏡に映そうとしない自己を現実の場面でとらえ、次のように鋭い評価を下しています:「電車の中でよく見かける光景です。電車の中で化粧する女の人、足を投げ出している人、二人前の席をとっている人、このような人を傍若無人と言いますが、そんなに他者が見えないんだったら、電車に乗る資格も本当はないんですね。電車に乗るということ自体が、他者を絡めた精密な計算の営みの結果なんです。ただでは年者には乗れませんものね。
そうでありながら、自分ひとりの行為が何でも許されると思うこと自体が、他者の認識ができていないということの証明です。他者の認識がないことが、「愛」の認識に至る道が閉ざされている原因だと私は思います。
他者を認識すれば当然、他者への配慮が生まれてきますね。この人はどういう人だろう、この人は何を考えているんだろう、何を食べてきたんだろうとかね。或いは、きたない服を着ていたら、洗ったらいいのに、とか、いい加減なことから親切な心まで、配慮と関心が生まれてきますね。」
結びのことばもよくかみ締めたいものです。鏡に映すのは顔だけでなく、生き方であり、こころなのですね。曽野綾子「自分の始末」(扶桑社)より「愛のために死ねますか」の一節 より














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